2013年04月13日

マディーナ日帰り一人旅B



 礼拝後は、引き続きAさんと一緒に、昼ごはんレストランを食べに。


 マディーナは過去にイスラーム国家の首都であった場所ながら、現在はリヤドその他のサウジ内の大都市と比べると、近代都市発展という視点からは非常に見劣りする。


 そして、それが逆にマディーナの魅力でもあり、却ってほっとするところでもあるのだが。


 マッカもマディーナも、出来れば昔のままであって欲しい。


 そんなマディーナでも、ショッピングモールなどが随分と出来てきているようだ。


 昼ごはんはそのようなモール内の、米国系チェーンのファミレスで、Aさんにご馳走になる。


 この時、ビュッフェのサラダバーに好物のビーツ(赤いカブのような野菜)があったため、思わず沢山食べてしまった。


 余り食べると、お腹が緩くなり、排泄物まで真っ赤になってしまう代物。


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預言者モスク(サイト「アフバーシュ」より)



 やがてアスル(午後遅い時間。現在は3時過ぎ)の時間時計が近づいてきたので、今度は預言者モスクで礼拝。


 もう随分と混んできていたので、モスク内の最も外側に近い場所でやった。


 礼拝後は、預言者とその偉大なる教友2人(アブー・バクルとウマル)のところへ、ご挨拶に。


 チャンスがあればラウダ(預言者廟と彼の説教壇の間の、特別な区域)で礼拝したかったが、生憎この時は女性用の時間帯で入れなかった。


 この偉大なる教えを伝え、最もよく体現し、そのためにあらゆる苦難を克服した人物、そしてその教えに最も忠実であり、かつ最も忠実な国家を指導した英雄たちが眠る場所。


 現代ムスリムの現状の中で、彼らの人生に思いを馳せれば、尚更に彼らが愛おしく思われ、慕情と悲哀の念に駆られるというものだ。



 その後は、携帯電話携帯電話の電池が切れかかっていたので、預言者モスク付近のマーケットへ。


 スペア用の電池を購入し、また、お土産用にマディーナ特産のナツメヤシで、アーリヤ地区(マディーナ東南部)の「アジュワ」を大量に買った。


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 預言者ムハンマドの伝承には、こうある:


 「毎朝を7個のアジュワで迎える者は、毒にも魔術にも害されることがない。」(ムスリムの真正集)


 「本当にアーリヤ産のアジュワには、癒しがある。


 「本当に、朝一番のそれは解毒剤である。」(ムスリムの真正集)


 知る限りナツメヤシの実で最も高価な品種だが、1キロ130リヤルのところを、100リヤルにしてもらった。



 その後は、僕のたっての希望で「マディーナ・メディア博物館」へ。


 もう閉館してしまったのかと思われるような、寂れた雰囲気の場所。


 僕たちが行った時には、トルコ、インドネシア、パキスタンあたりの訪問客がガイドに引率されて来ていた。


 一応、マディーナの見所の1つらしい。


 モスクの模型、主たる戦場のディオラマ、マディーナの歴史フィルム、土産物屋などがあったが、全体的に見て余り充実していない。


 規模的には、日本の地方都市にある民俗博物館よりも見劣りする位。


 特にムスリムにとっては、人類史上最も偉大な歴史が繰り広げられた場所だけに、少々の不満が残る。


 その後は、これも僕のたっての望みで、Aさんに「アブー・ザッル・モスク」へ連れて行ってもらう。


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 預言者モスクから余り離れていない場所にあったが、今まで何度も通りかかっている場所にも関わらず、全く注意を惹かれなかった何の変哲もないモスク。


 ここは別名「サジダ(伏礼)・モスク」と呼ばれ、有名な教友「アブー・ザッル」の名が冠されている理由は、歴史家の間でも不明。


 「サジダ・モスク」という名の由来は明白で、以下のような伝承によっている:


 ある時、預言者ムハンマドは外に出て行き、マッカ初期からの卓越した教友アブドッラフマーン・ブン・アウフが、その後をついていった。


 預言者はナツメヤシ園に入ると、キブラ(礼拝の時に向かう方向)に向かってサジダした。


 ところがそのサジダは非常に長く、アブドッラフマーンは彼が事切れてしまったかと思うほどだった。


 それで預言者がようやく額を上げた後、アブドッラフマーンはその長いサジダについて彼が心配したということを、彼に伝える。


 すると預言者は、そのサジダがアッラーへの感謝であった旨を知らせるべく、こう言った。


 「ジブリールが私のところにやって来て、吉報を伝えたのである。『アッラーがこう仰っている、お前に栄誉を祈った者には、われがその者に栄誉を授けよう。そしてお前に平安を祈るものには、われがその者に平安を授けよう、と。』」(ムスナド・アフマド1662、1664参照)


 この内容を伝える伝承は、数多く伝えられている。


 そして、その場所が現在「アブー・ザッル・モスク」がある場所だというのが、先代から後代に渡る歴史家らの間での通説。


 尚、当時そこがモスクであったわけではなく、後世の人々がその出来事を記念して、そこにモスクを建設した。


 このモスクでタヒイヤト・アル=マスジド(モスクに入った時に行うことが勧められている、2ラクアの任意の礼拝)をした後は、これまた僕の希望で、今度はイジャーバ・モスクへと向かった車(セダン)


 


posted by サイード at 15:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | サウジアラビア日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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