2010年12月13日

マレーシアでのジャングル探検3(2004年夏)


8月7日
 

 早朝、アザーン(礼拝の呼びかけ)を聞いた。文明を離れたかに見えるジャングル、かつ欧米人だらけの観光地でもアザーンを聞けて、ちょっと感動。しかし粗末で手入れの行き届いていない礼拝室には誰もいない。しかも蚊などの羽虫類がブンブン飛び回っている。僕はあっと言う間に蚊に刺されたが、T君は刺されなかった。僕はとても虫に刺されやすいタイプだ。

 昨日のビュッフェでしっかり朝飯を食う。地図を見ると、とりあえず手頃な見所としては「アバイ滝」、「クアラ・ケニヤム」周辺の洞窟群があった。ひとまずより近い方の「アバイ滝」に向かうことにする。そこまで行くにはある程度ボートで上流まで上らねばならない。というわけでボートを探したが、そこまでは1日に3隻位の定期便しかなく、ついさっきその内の1便が出発してしまったという。運行表を見ると夕方にも便があるので、僕らはそれを後回しにし、とりあえず洞窟群から先に廻ることに決定した。

 午前11時頃東に向かって宿泊地を出発。

 ハイペースで黙々と歩き続けた。余りに暑いので、今日はこだわりの「迷彩ルック」を捨てて半袖のTシャツで歩く。ノロノロと歩き、かつ騒々しい欧米人グループを何組も追い抜いた。途中からT君に先導役を代わってもらう。地図で見る限り、とりあえずの目標地点「ブキッ・インダー」までの宿泊所からの距離は、昨日行った「ブキッ・テレセック」までの距離と大差ないように思えた。しかし昨日のように早くは辿り着かない。汗が滝のように流れ、体はオーバーヒート気味だちっ(怒った顔)。おかしいな、という感じでむしろ精神的に疲れてくる。結局「ブキッ・インダー」に到着したのは出発して2時間程経過した頃。涼しく眺めのいい丘の上で暫しの休憩。

 地図から察するに、本目的地の洞窟群までまだ4分の1程度の行程を踏破しているに過ぎない。どうやら僕らは綿密な計画も立てず、このジャングルを甘く見過ぎていたようだ。昨日の「ブキッ・テレセック」を基準に、地図によってある程度の所要時間と距離を可也安易に単純計算していたせいもある。しかし改めてここまでの距離と消耗した時間と体力を計算してみると、洞窟群までの残りの行程は非常に長く、可也のエネルギーを要することは明白だった。少なくとも復路はボートを使って帰ってこざるを得ないだろう。

 ちょっと重い気分で再出発。

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テンベリン川が見えた!
  

 途中川の音が近くに聞こえる。どうやら主流テンベリン川がすぐ近くを流れているようだ。道を反れて、雑木林の急斜面を下る。果たしてそこには観光客を運ぶボートの往くテンベリン川が。僕らは暫し所々むき出しになった石を足場に川の水で足や顔を冷やしたりしていたが、そのうち客を乗せていないボートが通りかかった。

 「乗せてけ!」と合図すると、船頭がボートを岸につけた。「どこに行くんだ?」と訊くと、何か知らない場所の名前を言った。そこまではどれくらいの距離だ、と尋ねると、10キロ位、と言う。2人で幾らだ、と訊くと、「フィフティー」だか「フィフティーン」だかよく判別の付けかねる発音で言った。「ワン・ファイヴか?」と2回ほど確認してから、嬉々としてボートに乗り込む。ちょっと歩くのに疲れていたのと目的地までの体力と時間の節約のため、このヒッチハイクは非常に有益だった。川と船はとても便利で優秀な交通手段を提供することを実感。速い、速い。楽ちん、楽ちんるんるん。なるほどこれは偉大な恩恵である。クルアーンの中で、なぜ何度も船の恩恵が取り沙汰されているかがよく分かった気がした。

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 途中ガソリンが切れて補給のため停泊したが、その時ここぞとばかりに川に飛び込んで泳いでみた。でも一応船頭に「危険な魚などはいないか?」と確認してから。アロワナみたいなバカでかい魚に喰いつかれたりしたコワイからねあせあせ(飛び散る汗)。でも茶色く不透明で、かつ深さの予測もつかない川で泳ぐのはそれだけで恐怖心を煽るものがある。T君は少しためらっていたが、結局飛び込んだ。いい記念だ。

 ボートが目的地に着いた。
 船頭は「フィフティー」つまり「50リンギット(約1500円)」よこせ、と言ってきた。だからちゃんと「ワン・ファイヴか?」と確認したはずなんだが。50はちょっと高すぎるだろう。「ちゃんと15って言っただろ!?50だったら乗らなかったぞ。」と言うが、奴は「50よこせ。」の一点張り。値切りも通用せず。僕らの困っている様子を見て「じゃあお前の靴置いてけ。」なんて言ったが、文字通り足元見やがって・・・くつ裸足でトレッキング出来るかっつうの。昨日90リンギットで買った靴なんだぞ!しょうがないので「以後発音に気をつけろ、分かったか!?」と言って代金を払った。

 川岸でズフル(午後早くの礼拝)をする。
 どうやらここは「クアラ・トレンガン」というちょっと大き目の宿営地らしい。地図で確認するに、丁度僕らの宿泊地のある「クアラ・タハン」と洞窟群との中間地点だ。しかしここの宿泊施設は現在閉鎖中らしかった。寂れて手入れもなく、ほったらかしの状態になっており、ちょっと不気味。期待していた売店などもない。少量の副食物は持って来ていたし僕は食欲自体なかったが、何か冷たいのが飲みたかった。地元辺りの大学生らしいトレッキング・グループが、ガヤガヤと何か打ち合わせしている。何人かの船頭らしき地元の男たちは半ば壊れた一軒のコテージの中に留まっていた。

 少し休息して、再び洞窟群を目指して歩き始める。丁度午後2時だ。

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 標識によると、「クアラ・トレンガン」から洞窟群までは距離にして14キロ程あったと思う。14キロのトレッキングとは一体どれくらいの時間を要するのだろうか、ピンとこない。ルーズかもしれないが、今までもキロ計算などせず、あくまで地図上の適当な位置から大よその判断をしていたからだ。しかし地図上では「クアラ・トレンガン」から洞窟群までの行程最初の4分の1程の地点にある「ブンブン・クンバン(野生動物の観察小屋がある所)」まで、可也飛ばしても40分位かかった。これは、僕らの前に立ちはだかる距離がまだまだ長く遠いことを物語っていた。単純計算してもこのまま行くと洞窟群には到着出来るが、復路で日が沈んでしまうことは確かだった。あるいは「クアラ・トレンガン」に戻らず、洞窟群を通り越して次のテンベリン川沿いの宿営地「ケニヤム・ロッジ」まで歩き通し、そこから水路で一気に「クアラ・タハン」までUターン、という手もあった。しかしこれは「クアラ・トレンガン」に戻るより距離的に遠そうだ。後にこれらの考えは非常に非現実的であったことを知ることになるのだが、僕らはとにかく前進し続けた。

 暫く進むと、先導役のT君が疲労を訴え始めた。彼は余り弱音を吐くような男ではなく、あるいは余り自己表現の豊かなタイプではないので、突然のことで意外に思えた。それほど疲れているとは思わなかった。しかし非常に中途半端な距離なので、出来るだけ進んでみることに決定。先導する方が疲労が少ないと言うので、そのまま彼に先導役を務めさせた。

 今回のトレッキング・ルートはテンベリン川を大きく離れ、内地を突き進む。今まで歩いたところより、ずっとワイルドな雰囲気だ。時々標識のない分かれ道(アブネーだろ、ちゃんと標識置いとかねぇとフリーダイヤル)や、倒木で塞がれた道、生い茂る樹木に覆われて身を低めて進まなければならない道などにも遭遇した。ぬかるみも多く、ジャングルで最も僕が恐れていたもの「ヒル」の存在が脳裏をかすめるが、どうやら大丈夫らしかった(あるいは大丈夫だと自分に言い聞かせた)。細々と流れる小川も多い。小川のほとりでは何度か休み、きれいな水で顔や腕を洗った。今回は只々効率のみを重要視し、黙々と無心で道を進み続けたのもあってか野生動物を殆ど見かけなかったが、小川の辺りでは周りの木がユサユサ鳴る音から察するに、何らかの生き物が身を潜めているようだった。1度は川べりで蛇を見かけた。また、大概小川には無数の小魚が泳いでいる。人が近づいても逃げる様子もなく、却って寄って来るほどだ。唾を落とすと、一斉に集まってきて、「獲物」の取り合いを競う。構っていると面白い。或いは彼らの方に遊ばれているのか。

 「もう少ししたら洞窟群が見えるのではないか」という期待を数分毎に胸に抱いて行進したが、洞窟はいつまでも現れてくれなかった。恐らく可也いい所まで進んでいるはずだが・・・時間は4時半。2時間半歩き通してまだ着かないのはちょっとヤバい。ここから同じペースで「クアラ・トレンガン」まで引き返せば何とか夕暮れ前には戻れる。ということで、撤退することに決定。一応T君が懐中電灯を用意してきてはいたけど、やっぱりジャングルの夜道は何かと危なそうだ。往路の途中追い抜いた学生グループらしき集団に会い、彼らに同行していた地元人のガイドに訊けば、どうやら洞窟群は距離的にまだ1時間ほど要するらしい。遠すぎる。

 復路もT君の先導で帰った。失敬ながら、手拭いを頭からダラッと垂らした上に軍帽風のをかぶっている様子が、ちょっと「2等兵」っぽかった。彼は枝に引っ掛けて既に膝の辺りを負傷していたが、彼の後ろを歩いていて彼の左太もも後ろからも可也の出血があるのに気付いた。ズボンの上からの損傷は無いようだし、出血が徐々に広がっている。訊いてみれば、その辺りは怪我もしてなければ痛みもないと言う。嫌な予感がしたが、余り神経質にならないようにした。

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不可思議な出血・嫌な予感


 さて復路は大まかに言って2度ほど道に迷った。

 1度は引き返して間もない時。来た道を忠実に戻ったはずなのに、いつの間にかトレッキング・ルートを見失ってしまった。方角も何も分からなくなって〜というかコンパスなども所持してないので元より方角など分からないのだが〜道なき道を徘徊していると、いつしか見覚えのある場所に出た。蛇を見かけた小川のある場所だった。完全に方角を見失っていた僕らだったが、それで再び正規ルートに復帰出来たのだった。

 もう1度は「ブンブン・クンバン」を通過した辺り。ようやっと「クアラ・トレンガン」まで1時間もない地点に差し掛かり、可也気が楽になった頃。この時には僕が先導役に代わっていたが、やけに分かれ道が多くなり始めた事に気付いた。往路ではこれほど分かれ道はなかったはずなのだが・・・。そしてついに道は見知らぬ大きな川の前で終わる。緑色の水が静かに流れる、鬱蒼とした不気味な川。橋なども見当たらない。こんな川は来るとき見なかったぞ。無理矢理川沿いに雑木林を分け入って前進するが、道は開けそうになく、却って危ない方向に行ってしまいそうな気がする。そろそろ日も暮れちまいそうな、怪しげで暗い雰囲気フリーダイヤル。T2等兵ももう体力的にも精神的にも疲労困憊の様子。「主よ、正しい道にお導きください。」「安全に僕らを返してください。」「主よ、僕らに忍耐を与え、僕らの足をしっかりとお支え下さい。」と心の中で祈り続け、もと来た道を出来るだけ忠実に戻るように努めた。一体どこから道を踏み誤ってしまったのか見当も付かない・・・。2人だったから良かったが、もしこれが1人だったら不安この上ないだろう。グアム島のジャングルで1人、大戦から約30年もの間ひっそりと暮らしていた横田さん、アンタは凄い。多分フィリピンの小野田さんは1人じゃなかったよな・・・同志が1人いたんだが、発見された時に地元の警察かなんかにかかっていって殺されたんじゃなかったろうか・・・?

 さてそのうち三叉路に辿り着き、ハッと思い出した。ここは往路で確かに通った場所だ。道が左右に分かれているのに標識もないので、僕とT君がじゃんけんし、右にいた僕がじゃんけんに勝ったので右に進んだのだった(そんな進み方すんなよ)。帰り道では僕らは往路から見て左の方に進路を取ったため、おそらくテンベリン川の支流トレンガン川にぶつかってしまったらしかった。皆さん、ここでトレッキングするときはちゃんとガイドを雇いましょう。

 いずれにせよ正規のルートに戻ることが出来た。「クアラ・トレンガン」までの行程もあと僅か。T君も可也バテていたものの、最後の気力を振り絞って頑張った。無事テンベリン川沿いの宿営地「クアラ・トレンガン」に帰還。時間は夕暮れも迫る7時半頃だった。2人とも「アルハムドリッラーexclamation×2」と神を讃える。

 しかし「クアラ・トレンガン」帰還の少し前から、僕らは新たな心配に胸を煩わせなければならなかった。そしてこの無人のコテージが立ち並ぶ寂れた宿営地に入ったとき、それは明白な現実となって僕らの前に立ちはだかった。

 つまり、無人宿営地=客がいない。
      客がいない=誰もいない。
      誰もいない=船もない。
      船もない=帰れない。
      帰れない=ヤバいどんっ(衝撃)

 という小学1年生にも理解容易な計算式である。案の定、コテージにも川岸にも全く人の気配がない。迂闊だった。ちゃんとした地図も現地情報も持たず、綿密な予定も立てず、現地ガイドも雇わなかったツケだ。

 とりあえず日が沈む前に遅れていたアスル(午後遅くの礼拝)をこなす。川でウドゥー(礼拝などの崇拝行為に条件付けられる体の「清め」)をしようと靴を脱いだところ・・・ノオオォォオオーーーツツッッッexclamation×2

 両足が血まみれ!見れば・・・ギョエエェエエーーツッッexclamation×2ヒ・ヒルがあぁああっっっ!うぅう、気持ちワルぅぅっっがく〜(落胆した顔)結構厚手の靴下の上から吸い付いてまだディナーを楽しんでる奴もいれば、もうすっかり腹いっぱいになってポッテリしてる奴までいるーーっ!しっかしこいつら、どうやって、そしていつの間にこんなきつい空間に忍び込みやがった!?考えれば考えるほど気持ち悪い奴らだ。コワすぎる。T君の左太もも後ろの出血部分も現行犯で目撃はされなかったものの、恐らくヒルの仕業によるものであったに違いない。彼らはたらふく血を飲むと、そのままボテッと落ちて逃げてしまうらしいから。ちなみに彼の靴の中からは何も発見されなかった。同じ所を歩いて同じ行動をしていたのに。

 さて礼拝後、T君は川岸に残って救助のボートを待ち構え、僕はコテージを廻って他のヒューマン・ビーイングを探す役目を負った。

 裸足で歩いたら、足が痛かった。あの靴はまだ何か入ってそうでとても履く気にならん。途中ドでかい蟻の群れなどがいて注意せねばならなかった。

 トレッキング・ロードで拾った笛を大きく鳴らしながら廻って歩く。洗濯物や靴がほったらかしてあるコテージが2軒あった。餌付けをされているらしい親子の猫も発見。ドアをドンドン叩いて廻ったが、誰もいなさそうだ。おそらく一時的にここに滞在する船頭とかガイドのコテージなのだろう。

 川岸に戻ると僕の時計が日没時刻を告げた。

 対岸の向こうの森から煙が上がっている。人がいるのは確かなので笛を力いっぱい吹くが、何の応答もなし。2人で暗闇の迫る川岸に腰を下ろす。持ってきた1.5リットルの水もついに尽きてしまった・・・。

 僕らは明朝このタマン・ヌガラを出発し、首都KLに帰る予定なのだ。ここで夜を過ごすのはキツいが、それよりも重大なのはそんなことをしたら明朝のクアラ・タハン発のボートを逃してしまうことだ。そして予定としては明日の午後4時頃KLに戻り、そのまま午後2時から6時まで開かれている「在KL日本人ムスリム懇談会」に参加するのだが、その予定も潰れてしまう。まあその予定が潰れるのはともかく、今回の全ての旅程は旅行会社を通して全て予約済みであるから、もし明日の帰りのボートとバスを逃したら新たにチケットを購入しなければならなくなる。まあ一言で言えば、今日何とかクアラ・タハンに帰らなくちゃヤバい、ってことだ。

 川岸にボートが1隻停めてあるが、一体この持ち主はどこに行ってしまったんだろう?ふとT2等兵が「最悪の場合この船奪って(クアラ・タハンに)帰りましょう。」と言う。なんてこったがく〜(落胆した顔)!知的常識人のはずの彼が、こんなことを言うまでに精神的に追い詰められている!

 と、遠くからボートのエンジンの音がかすかに聞こえた。

 少しずつ近づいてくる。僕らの胸が高鳴った揺れるハート。僕らの希望の綱を乗せたボートはやがてその姿を現すと、おもむろに川岸に着岸した。船頭は若い男。喜びを抑え、足元を見られて余り値を上げられないよう落ち着いて、クアラ・タハンまで行きたいが幾らか、と交渉する。

 男は今クアラ・タハンから来たばかりで、またそこに戻るのを渋った。ガソリンがないとか、もう暗いから危ないとか言い訳をする。「幾ら出すんだ?」と訊いてきたので、とりあえず「30」と答える。呆れて笑う男。じゃあ幾らならいいんだ、と訊けば「100リンギット」と言う。しかし何とか交渉し、最終的には50まで下げさせた。おそらくこの漂流民っぽい2人組への憐れみも少しはあったのだろうか。

 男は懐中電灯を取ってくる、と宿営地のコテージの方へ消えた。

 暫くしても男が姿を現さないので、自然と不安になる。T2等兵がまたも「もし戻ってこなかったら船を奪って帰りましょう。」なんて言っている。可哀相に、可也追い詰められて混乱しているのだろう。「いや、それは泥棒でしょ。」と一蹴した。

 やがて男は約束通り戻ってきた。船に乗り込む。辺りはもうすっかり闇に包まれている。

 男は器用に愛船を操った。時に浅瀬か、あるいは流れが激しいと思われる所ではエンジンを切り、船を静かに流れに任せて体勢を安全を保つ。岩の多い所なども知り尽くしているようで、闇の中でも器用に安全なルート取りをする。確かに船は便利とはいえ、特に夜の航行は危険を伴う。また川幅は広いように見えても、実際にボートが安全に航行できる範囲はごく僅かであることを知った。男の技量と経験を実感する。こんなの素人が運転したらとんでもないことになるだろう。

 無事クアラ・タハンに到着した時、男に10リンギット余計に渡した。これからまた今度は波に逆らってトレンガンまで戻るのだから大変だ。

 何はともあれ、無事クアラ・タハンの宿泊地に生還した。自然の危険と恐ろしさから安全な場所までやって来たのだ。アルハムドリッラーexclamation×2人里とは何という安逸と恩恵に満たされている所だろう。早速シャワーで汗・垢・血まみれの体を洗う。靴も念入りに洗った。ちょっと(?)文明人に戻った感じ。

 夕飯は宿泊地の対岸にあるフローティング・レストラン(文字通り川に浮いている)の1つで食べる。人が歩いたり、傍をボートが通ったりする度にグラグラ揺れる。汁物を頼んだときは気をつけなければならない。そういやこの日、僕は朝飯以降なんも食べてなかった。喉だけは非常に渇いたが、特にまだ食欲もない。
 
 後記
posted by サイード at 03:08 | Comment(1) | TrackBack(0) | マレーシア日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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