2012年04月15日

幸福と不幸の印



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「人は、自分の宗教に応じて、試練を受ける。
それでもし、彼の宗教に堅固さがあれば、
その試練において上乗せされる・・・。」(1)




 
幸福と不幸の印




 
イブン・アル=カイイム・アル=ジャウズィーヤ著「諸益」より。


 
 (真の)幸福と成功の印わーい(嬉しい顔)


 知識が増えるたび、謙虚さと慈悲(じひ)の念が増すこと。


 (よき)行いが増えるたび、(それが善行として受け入れられないのでは、という)恐怖と警戒心が増すこと。


 年齢を重ねるたび、執着心が弱くなっていくこと。


 財産が増えるたび、太っ腹になり、(よき)出費も増えていくこと。


 格と地位が上がるたび、人々と接し、彼らの必要を満たすことが多くなり、謙虚さが増すこと。



 (真の)不幸の印もうやだ〜(悲しい顔)


 知識が増えるたび、高慢さと自惚(うぬぼ)れが増すこと。
 

 (よき)行いが増えるたび、慢心と他人に対する蔑(さげす)みの念、自分に対する楽観が増すこと。


 年齢を重ねるたび、執着心が強くなっていくこと。


 財産が増えるたび、吝嗇(りんしょく)さを増し、財布の紐を締めるようになること。


 格と地位が上がるたび、高慢さと自惚(うぬぼ)れが増すこと。




 これらの物事は、アッラーがそのしもべをお試しになる、かれからの試練であり、試験である。それによってある者は幸福になり、それによってある者は不幸になるのだ。


 同様に、王権、権威、財産のような幸運も試験であり、試練である。アッラーは、預言者スライマーンがビルキースの玉座が彼のもとにあるのを見て、こう言ったと仰(おっしゃ)られている:


 「これは、私が感謝するか、それとも恩知らずになるかを試す、わが主の恩寵ゆえのもの。」(クルアーン27:40)


 ゆえに恩恵は、それによって感謝深い者の感謝と、恩知らずの不義(ふぎ)が露(あら)わになる、アッラーからの試練であり試験なのだ。そして同様に災難もまた、アッラーからの試練なのであり、かれは恩恵で試みられると同様、災難によっても試みられるのである。アッラーは仰(おっしゃ)られる:


 「人間というものは、その主が彼を試みられ、彼を厚遇され、恩恵を与えられれば、『わが主は、私を厚遇された』と言う。そして彼を試みられ、彼にその糧を乏(とぼ)しくさせられれば、『わが主は、私を辱(はずか)められた』と言うのだ。いや、・・・」(89:15‐17)


 つまり、「われがその糧を豊かにしてやり、厚遇し、恩恵を授けてやる者全てが、われからの(真の)厚遇を授かっているわけではない。そして、われがその糧を乏(とぼ)しくさせ、試練にかけた者全てが、われからの屈辱を味わった者ではない」ということなのである。


 
 (1)アフマド「ムスナド」1481参照。

posted by サイード at 04:54 | Comment(2) | TrackBack(0) | イスラーム(イスラム) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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