2010年12月10日

モーリタニア日記の風評(2003年6月)


 Hさん、Mさん両氏が作成して下さった「サイードのモーリタニア日記」という旧サイト、両氏のご尽力によるところが大きいのですが、なかなか好評でした。この場を借りて、改めて感謝の意を表したいと思います。

 ここでは、「ワンコイン悦楽堂」という朝日新聞のウェブサイトのコラムの中で、メインではないものの、このサイトのことを取り上げて下さった故竹信悦夫氏(当時編集局速報センター次長)の書評を引用・紹介させて頂きます(現在ウェブ上では閲覧不可)。

 
以下引用


 モーリタニア、と聞いて「ああ、あそこね」とピンと来る人は、あまりいないかもしれない。

 地球上のどのあたりにあって、首都の名前は、なんていうのか。大学入試で地理を選択する受験生ならいざしらず、日本で暮らす人にとっては、ちょっとしたクイズの問題になりそうです。

 アフリカ大陸の西北、モロッコの南に位置し、首都はヌアクショット。

 最近新聞記事になった出来事と言えば、6月に未遂に終わったクーデター騒ぎがあったばかりだけれど、これも記憶している人がどれだけいることか。

 かくいう私も、外電を頼りに記事を作ったことはあるけれど、実際にでかけたことはありません。まあ、控え目に行っても、日本にはあまりなじみのない国の一つでしょう。

 そこに留学した日本の若者がいる。

 サイード佐藤さんというムスリム(イスラーム教徒)青年で、東京でアラビア語を習得したあと、イスラーム法の勉強をするために、かの地へ渡った。

 日本を出た2002年9月から、サウジアラビア経由でモーリタニア入りし、イマーム・ムハンマド・イブン・サウード・イスラーム大学モーリタニア分校で学び、同校が突然閉鎖される2003年6月までの日々については、現代の若者らしく、多数の写真のついた記録を、

サイードのモーリタニア日記
http://members.tripod.co.jp/saeed25/
(現在サービス停止)


としてネット上で公開している。

 面白い日記です。

 例えば大学での最初の授業は、こんな風です。

<シャリーア(イスラーム法)学科の第1学年クラスA。教室は学生でギッシリ埋まっている。地元のモーリタニア人は大概例の大きなマントを羽織ってバサバサいわせており、他はナイジェリアやセネガルなど近隣西アフリカ諸国、及びモロッコやアルジェリアなど北アフリカからの留学生で、それぞれの民族衣装に身を包んでいる。西アフリカ諸国の黒人系は派手な色の民族衣装かアラブ服、或いは洋服姿で、北アフリカからのアラブ人たちは地味な色のアラブ服を来てあごひげをたくわえ、いかにも宗教的な落ち着いた雰囲気。見慣れぬ者にはとても異様で少々怖ささえ感じさせる風景かもしれないが、それはあちらにとっても同じ事だろう。何でここに、こんな怪しいカンフー使いみたいな東洋人が来たんだろう、くらいに思われていたのではないか。>

<さて、この日はタフスィール(クルアーン解説)、フィクフ(イスラーム法)、イスラーム社会学などの授業があった。授業形体は、大体先生が教卓に腰をかける(椅子に座る先生は殆どいない)か、立ったままで喋りまくる。黒板は殆ど使わない。時々複数の生徒がいちどきに質問をぶつけてくるのが先生を少し困らせる。(中略)この日最後の授業はコーランだった。ここの教師には珍しく頭をサッパリとなでつけ、あごひげをそった、日本の小学校あたりの教頭先生然としたエジプト人の先生は、始めのうち学生たちに基本的な礼儀作法について教訓をたれていた。そして一段落すると、おもむろに僕を教卓の前に呼んだ。彼はこの遠方からの「転校生」に、ここに来るに至った簡単な経緯などについて少し質問すると、学生たちの方を振り返って言った。

「いいかー、みんなー。こいつはただ勉学するためにぃー、祖国と家族を離れてぇー、ここにやって来たんだぁー。こいつは既にぃー、日本で大学を卒業していてぇー、ここのある学生たちのようにぃー、修了証書欲しさにここにやって来たわけではないぃー。分かるかぁー。純粋にぃー、知識を求めてぇー、ここへやって来たんだぁー。然るにぃー、お前達はぁー、全ての面においてぇー、こいつを助けぇー、いたわってやらなければならないぃー。分かったかぁー。こいつの前でぇー、みっともない姿を晒すんじゃないぞぉー。いいかぁー。おまえたちの一人一人がぁー、いいムスリムのぉー、見本たれよぉー。」

 先生が何度も何度も繰り返すその独特な節回しでなされる弁舌は、勉強において、そしてここの環境と人といった点でちょっと失望し落ち込んでいた僕の心のツボにジャストミートした。先生のこの心づかいに僕は感極まり、湧き上がってくる熱い涙を抑えるのに精一杯だった。その後、皆からのリクエストで、僕がクルアーンの「牝牛章」から朗誦し、授業が終わった。>

 学生食堂での食事。

<ちなみに、学生食堂の3度の食事は毎日寸分変わらぬ同じメニューだ。朝が、フランスパンとジャムとカフェオレとヨーグルトドリンクみたいなの。昼は、フランスパンとパサパサしたご飯とサラダと茹でた羊肉とスープで、3食の内1番重きが置かれている。夜は、フランスパンとスープとフライドポテトと、やっぱりヨーグルトドリンクみたいなやつ。全体的にとても質素で、余り時間がかかっているようには見えない料理だ。まあ僕は美食家でもないから特に不満もないし、ここまで少しの変化もないと逆に感心してしまうというものだ。>

 学生寮での暮らしぶりや、一緒に学ぶ学生たちについての観察など、興味は尽きません。

 先日、一時帰国中のサイード佐藤さんの話を聞く機会がありました。

 へーえ、と思ったのは、イラク戦争中の対日感情です。

 ヌアクショットでは、BBCをはじめ、西欧のメディアの情報に接することができるし、アルジャジーラのようなアラブの衛星テレビ放送も視聴することができる。

 モーリタニアの人たちの大半は、これらの報道をもとに、同じアラブのイスラム教徒として、ほぼ例外なく米英のイラク攻撃に強い反対や不満、怒りを示していた。

 その米英の側についた、ということで、当初、日本に対する感情は当然険しいものだったらしい。サイード佐藤さん自身、「バツの悪い思いもした」らしい。

 それが「日本国内でのイラク戦争に反対するデモ」のニュース映像を、アルジャジーラが伝えたとたん、一変した。

 「そうか、日本でも、みんなが政府の方針に賛成しているわけじゃないんだ」と、いうわけで、日本への好意的な感情が戻ったという。

 当時、デモに参加した日本の若者の中には、戦争が始まるに及んで「結局デモなんかやっても、しょうがないんだ」と、ちょっとがっかりした人たちもいたようですが、遠く離れた場所で、思いがけない反応を呼び起こしていたわけです。

 そんな話を聞いた直後に、近所の古書店で本書をみつけた。

OTH200307270002.jpg


 元の定価の半額の値がついていて、ちょうどワンコイン。
 私はイスラーム教徒ではありませんが、ひょっとしたら、これってアッラーの思し召しかもしれん、と、ただちに購入。

 イスラームの聖地メッカ(アラビア語風に表記すれば、マッカ)のさまざまな光景を撮影した日本人写真家の滞在記。タイトルにあるように、多数のカラー写真作品が中心になっています。

 メッカは、イスラーム世界の文字通りの中心です。
 世界中のイスラーム教徒は、毎日メッカの方角(キブラ)を向いて礼拝をする。
 イスラム圏のホテルに泊まると、天井などに矢印が描いてあるのをめにすることがありますが、あれも、どっちがメッカの方角かを示す目印。
 礼拝所(モスク)は、メッカの方向に向けて建てられますから。そこで礼拝する分には、方角のことを気にしなくてもいいのですが、モスク以外で礼拝するとなると、方角を決めなくてはいけない。
そこで日本にいるムスリムの中には、どんな場所にいても、メッカの方角が分かるように、磁石を持ち歩いている人もいる。

 余談ですが、礼拝は1日にファジュル、日の出、ズフル、アスル、マグリブ、イシャーの5回ありますが、この時間が、場所によって違ってくる。
 そこで日本では、札幌から那覇まで12都市での礼拝時刻を、携帯電話で知ることが出きるサイトができた。
 「あ、そろそろ礼拝だな」と思ったら、ケータイで時間を確かめ、磁石でメッカの方角を知るわけです。この二つが正確であれば、どこにいても礼拝ができることになる。

 イスラーム教徒にとっては、メッカは、一生に少なくとも一度は巡礼で訪れるべき土地です。
 サイード佐藤さんも、留学への途中に、巡礼をしたそうですが、異教徒は立ち入ることは出来ません。

 本書の著者は、30年来、イスラーム教徒が多く住む地域の自然と人々を撮り続け、1985年の土門拳賞をはじめとする数々の受賞歴と多くの写真集で、すでに高い評価を確立した写真家。

 1995年、その著者に、メッカと並ぶもう一つの聖地メディナの預言者モスクの拡張工事竣工記念写真集のための撮影依頼の話が、サウジアラビアから持ち込まれる。
 当初は、メディナだけ、それもモスクの内部は立ち入らない、という条件だった。それでもふだんは異教徒に対して閉ざされている場所ですから、破格の条件といっていい。
 でも、それなら、と出したメッカの撮影希望に対しては、まったく相手にしてもらえない。

 そこで著者は、思案の末、東京でイスラームに入信します。
 そして1995年1月から、二つの聖地での取材を開始、2000年4月まで毎年訪問を続け、巡礼も実に5回体験したという。

 その成果はジョージ・ワシントン大学のサイイド・ホセイン・ナスル教授の文章とともに「野町和嘉写真集メッカ巡礼」(集英社、1997年、元の定価5985円)にまとめられて、英語版、ドイツ語版と同時に出版されています。
 本書はそのコンパクトな普及版とも言える姉妹編。
 こんな書き出しで始まります。

 「私たちは、メッカという土地の実体について知らぬままに、中心地、あるいは発祥地などを指す慣用語としてそれを無意識に使ってきた。曰く“学問のメッカ、○○”“野球のメッカ、○○”といったふうに。いつの頃からか定かではないが、イスラームとは無縁のこの国で、メッカという言葉だけが一人歩きして市民権を得ているというのも、思えば不可思議な現象である。」(1ページ)

 発端から、入信、メディナでの見聞、ラマダン月の断食体験、メッカ入りなど、撮影日誌風の記述を軸に、息をのむような美しい写真作品が、ほぼ毎ページ出てくる。

 読み進むうち、異教徒の入れない聖地についてだけでなく、イスラーム全般についての知識が増え、ムスリムについての理解が深まる仕組みです。
 同時に、最近のサウジアラビアについても簡潔にまとめてあって、時事的な関心がある向きにも参考になります。

 新書版なので、写真の大きさにこそ制約はありますが、カラーの色調など仕上がりの水準は高く、作品の迫力は、十分に味わえる。
 これなら新刊書店で、元の定価で買ってもいいくらい。

 こういうのをきっと、めっけもの、というんでしょうね。

 
引用終わり


 尚竹信氏は2004年9月、マレーシアでの家族旅行中、海水浴で心臓麻痺を起こしてお亡くなりになられています。竹信氏については、ウィキペディア(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%BF%A1%E6%82%A6%E5%A4%AB)をご覧下さい。


posted by サイード at 23:03 | Comment(2) | TrackBack(0) | モーリタニア日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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