2013年04月11日

マディーナ日帰り一人旅A



 マディーナ空港飛行機には、午前9時過ぎに到着。


 用事を済ませた後、当地の日本人留学生Aさんと再会。


 彼の車車(セダン)で、まずズフル(正午過ぎの礼拝)のためにモスクへ。


 どこか礼拝したいモスクはありますか、と聞かれたので、マディーナの交通事情と地理に詳しい彼に任せる。



 彼が連れて行ってくれたのは、クバー・モスク。


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サイト「アフバーシュ」から



 モスク内で、ズフルの集団礼拝が始まる前の任意の礼拝中、今日が土曜日だったことを思い出す。


 預言者ムハンマドは土曜日に、マディーナ中心部からラクダに乗って、あるいは徒歩で、このモスクへやって来ては、礼拝したものだった。


 イスラーム史上初のモスク。


 預言者がアブー・バクルと共に、迫害の強まるマッカを後にし、このマディーナの地に到着した際、イスラームの輝かしい興隆ぴかぴか(新しい)の歴史の幕開けとして、この場所に最初のモスクが築かれたのである。


 この場所は、イスラームとムスリムの新たな歴史を告げる、出発点だった。


 世界を暗黒から光へと導くための灯火ひらめきが、マッカからマディーナへと一旦移され、それはこの地で煌々と輝き、その種火は世界へと飛び立って行ったのである。


 この場所こそは、預言者ムハンマドとその追従者たちの偉大なる避難所−ヒジュラ(聖遷)の場−として、アッラーがお選びになった土地への扉であった。


 この場所こそは、マディーナが聖なる祝福された地と転換されるための、通過点だったのである。


 この場所を皮切りに、ムスリムたちは自分たちの国家を形成し、内外の敵を屈服させていった。


 アッラーの預言者の指揮のもと、イスラームという教えに命をかけた真摯な信仰者たち、英雄たちが結集し、ムスリム社会の栄華の頂点を極めた日々は、この場所を始まりとして新たな出発を迎えたのである。


 そしてこの場所を皮切りに、イスラームの様々な法規定が下され、宗教は最終的な完成を見た。


 マッカを始め、アラビア半島がムスリム国家の統治下に入ってからも、預言者はこの場所を訪れた。


 それがなぜ土曜日だったのかは、分からない。


 しかし預言者ムハンマドの、この場所に対する特別な思い入れは、想像に難くない。


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 イスラーム共同体は、ムスリムの知識・理解・信仰心・実践レベルにおいて、預言者時代を頂点とし、その後は衰退の一歩を辿っている。たとえある時代において、預言者時代、正統カリフ時代よりも、物質的に充実した時があったとしても、である。


 そして現代のムスリム世界は、非常な危機爆弾の中にある。


 世界のムスリム人口が10数億、と言ったとしても、宗教理解、信仰心、物質的発展、団結力・・・全てにおいて、全体的レベルが大きく低下してしまったのは否めない事実だ。


 現代のアラブ世界、ムスリム世界の一部は、目も当てられないほどの燦燦たる有様。 


 外敵からは抑圧され、侵略され、虐殺され、様々な試練と誘惑に苦しめられ、内部では互いに殺し合い続けている。


 このようなことに思いを馳せると、このクバー・モスクでの礼拝・祈願も特別に身が入るものとなる。


 あの時代に、ちょうどここから始まったように、再度イスラーム精神とその共同体の栄華が復興することを祈った。






posted by サイード at 19:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | サウジアラビア日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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