2013年02月18日

マッカ・マディーナ旅行5-2(2013年冬)




1月21日(後編)



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バキーウ墓地の正門前



 アスル(午後遅くの礼拝)は、長男Aと、病状が少し回復した次男Mを連れ、預言者モスクで礼拝。


 その後は、現在はモスク敷地と隣接している、バキーウ墓地へ。


 ついさっき、アスルの礼拝後に葬儀の礼拝があったが、その遺体が2つ、ちょうど運ばれて来た。


 イスラームでは、このように人の死後、迅速に葬儀の礼拝を執り行い、埋葬することが命じられている。


 遺体はあっという間に、あらかじめ用意されていた穴に置かれ、そして埋められる。


 故人の遺族以外の人たちも同行していたが、これもイスラームの教えの1つで、葬儀の礼拝だけでなく埋葬まで立ち会った人には大きな報奨が約束されているため。


 このようにモスクに墓地が隣接している場所では、こうした死の光景を日常的に目目にすることになる。


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 墓は全て、砂を盛り上げ、石を目印に置いただけのシンプルなもの。これもイスラームの教えの1つ。


 また死人は、戦いによる殉教者などの例外的な場合をのぞき、皆、白い「死に装束」に包まれた同じスタイル。その上から、何枚かの布で包み込んで埋葬する。


 これは、ハッジ(大巡礼)の時の男性と同じスタイル。ハッジが、来るべき死と、復活の日の召集の「予行演習」的な意味合いもあると言われる所以だ。


 人間、死んでしまえば、現世での表面的な諸事、虚飾、装飾品耳、財産有料などは手許から消え去り、皆同じ格好になるのだ。


 そして現世を離れた者たちを益するのは、現世で自分が神ゆえに真摯に行ったことぴかぴか(新しい)だけ。


 それから時が来れば、皆、神に召集され、自分が現世でやった全てのことを、まざまざと見ることになる。


 復活、清算、来世、報奨と応報は、イスラームの教えの根幹にあるもの。


 そして人は正義、公正さといったものを求めるものだが、これらの信仰がなければ、この世の物事は全て空虚かつ無意味なものとなってしまう。


 またイスラームでは、この来世という「真の生」で成功するための義務や、善行の数々が、非常に簡潔かつ明快に描かれている。


 物質文明の最大の悲劇は、これらの信仰の欠如だろう。





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 墓地を出る時、出入り口の門のところで眼鏡をかけようとして少し立ち止まっていると、常駐している治安部隊の一人が、「止まらないで、早く行け」と言って来た。


 カチンむかっ(怒り)ときて少し言い合いになったが、後で考えてみると、彼らは墓地周辺での人々の動向に神経質になっているようだった。


 バキーウ墓地は、イスラーム史における数多くの有名な先人たちが葬られている場所。


 一説に、約1万人もの預言者の教友が埋葬されている、と言われる。


 例えば、第4代正統カリフのアリーの子孫を始め、預言者の叔父、叔母、妻(ハディージャとマイムーナを除く)、息子(イブラーヒーム)、娘、乳母、また、第3代正統カリフ・ウスマーンらの著名な教友、4大法学派の祖の一人マーリクなど・・・。



 それらの著名なムスリムたちの墓の上には以前、大小のドームが建てられていたが、第3次サウジアラビア王国によって最終的には撤去された。


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ドーム類が撤去される前の、昔のバキーウ墓地



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円で囲んだ辺りが、アリーの子孫が埋葬されている場所。特別大きなドームが建てられていた



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上の写真の円で囲んだ辺りの現在。後方の建物は、墓地外のもの。墓地が盛り上がっているのは、埋葬を積み重ねていったせいだろう。



 だがムスリム諸派にとって非常に大きな意味をもつ、これらの先人たちの墓の場所はその後も特定されており、その墓を訪問することは、マディーナを訪れるある種の人々にとって非常に大きなイベントの1つである。


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第3代正統カリフ・ウスマーンの墓



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預言者の息子で夭折したイブラーヒームの墓



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教友アブー・サイード・アルフドリーと、預言者の叔父アブー・ターリブの妻であり第4代正統カリフの母ファーティマ・ビント・アサドの墓



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4大法学派の1つマーリク学派の祖、マーリクと、その師ナーフィウの墓




 例えば、ある種のムスリムはある種の先人を、チャンスがあればその墓の中の砂を奪い取りかねないほどに、溺愛し崇敬している。


 また、ある種の先人を、その墓の上に罵りの言葉をかけ、唾を吐きかけんばかりに嫌っている人々もいる。


 僕がバキーウに行った時には、いわゆるシーア派が自分たちの指導者として愛する「アリーの子孫たち」のエリアにフェンスが張り巡らされ、立ち入り禁止手(パー)になっていた。


 また、その周囲には、特に多くの治安部隊が常駐していた。


 数年前には、このエリアを巡ってシーア派による暴動騒ぎパンチも起きている。


 彼らだけではなく、この墓地に埋葬されている人々に特別に強い思い入れのある人々は、ともすると他人に迷惑をかけたり、治安を乱す行動に出てしまったりする恐れがある。




バキーウ墓地にて、自分たちが崇敬する先人の墓の砂を取ろうと競い合う人たち



 これはバキーウのみならず、イスラーム史における先人ゆかりの場所や物が多い、マディーナの他の場所でもあり得ること。


 マッカよりずっと小規模とはいえ、サウジアラビア当局はマディーナの治安維持において、マッカに優るとも劣らないほどの大きな注意を払っているに違いない。



 


 さてマグリブ後は、預言者モスクで、当地に留学している日本人の同胞たちと再会。



 Aさん宅で、夕食レストランをご馳走になりつつ、色んなことについて話し合った。


 Aさんは、母親、奥さんが外国人という、インターナショナルな家族背景をもった人。


 イスラームと出会ったのは母親の母国のとある英語圏の国だが、このように外国で、特にムスリム系が多い欧米の国でイスラームと出会う日本人も多い。


 外国語を学ぶ、話す、ということは、表面的にであれ、実質的にであれ、別の文化、別の視点を受け入れること。


 日本人は外国で、外国語でコミュニケートすることによって、日本人としての枠から解放される部分があるし、「日本にいる日本人のまま」だと入って来づらいものが、すんなり入って来るsoonことが往々にしてある。


 また、欧米に憧れのようなものを抱いている日本人も多いが、いざそこに足を踏み入れてみると、そこには雑誌、マンガ本、映画映画、ホームドラマTVなどの媒介に依拠して自分が描いていたのとは違う現状を見出し、「価値観の修正」を強いられる。


 それだけではない。


 日本人だけではないと思うが、人は自分が生まれ育った場所の外に出て、異なる人種、社会、文化、価値観に触れて初めて、「自分とは何か?」という問題に直面し、それに本気で取り組むことを強いられる。


 特に、アイデンティティが崩壊ぎみの戦後の日本人に、これは顕著だろう。


 ある者はこのような状況に追い込まれた時、諸々のイデオロギーへと向かうかもしれない。


 それは人種差別主義、過度の民族主義、急進的共産主義など、他者に攻撃的な形のものかもしれない。


 また、虚無主義、何でもありな自堕落志向などに向かうことにより、人生に対して半ば投げやりになってしまうかもしれない。


 あるいは、宗教に向かうかもしれない。


 そして多くの人々が、人を言葉や民族や人種などで差別しない、より普遍的なアイデンティティを求める中で、道徳という個人レベルでも、社会という集団レベルでも腐敗のはびこった、排他的で、物質主義的な社会において、同胞愛にあふれた、イスラームという明快で論理的、かつ多くの人に受け入れられている教えを志向するのは、決して不思議なことではない。


 そして欧米社会に属する人々であっても、ムスリム系には、非常に大らかで、開けっぴろげで、家族を大切にし、豊かではなくとものびのびと楽しそうに暮らす、「物質社会人」の心を潤してくれるような人わーい(嬉しい顔)が多い。


 このような人たちは、ギスギスした環境から来た人たち、物質や人間関係に悩まされている人たちふらふらから見ると、非常に魅力的に映るのではないか。


 このAさん自身から昔、「もし母親の母国にいなかったら、イスラームに出会っていなかったかもしれない」という言葉を聞いたこともある。



 一方、マディーナのもう一人の日本人留学生Sさんは日本国内で改宗した筋だが、彼もまた、自分に納得のいく生き方を模索してイスラームに辿りついたケース。


 ただ、日本だとムスリムやモスク、イスラーム組織の数も少なく、改宗してもその後が続かない場合も多い。


 しかし、このSさんは改宗後も、日本でイスラームの教えを知識を実践と共に学び続けた、余りないケース。


 イスラーム改宗には色んな形、色んな入り口パスワードがある。


 現に日本における、日本人イスラーム改宗の一番多いケースが、ムスリム系外国人との結婚揺れるハートである。


 また、改宗することによって期待できる、特別な物質的・社会的利益といった点から改宗する場合もある。


 それら全部、いいものだと思う。


 改宗後、その人がよいムスリムとなるのであれば、だが。


 ただ、Sさんのような改宗の仕方、改宗後のあり方が理想的だし、何より彼の人生がイスラームへの真摯さを如実に証明している。


 このようなタイプの改宗ムスリム像に重なるのが、預言者時代の傑出した教友の一人、サルマーン・ファールスィー


 「真の生き方」を純真に求め続け、ただそれだけのために時には奴隷に成り下がり、文字通り自分の全人生をかけて、ペルシャからマディーナの預言者のもとに辿りついたという、感動的な人生を送った教友。


 その話は、また後に回すとしよう。








posted by サイード at 14:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | サウジアラビア日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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