2010年12月18日

サイードのサウジ人考察3(2004年)

3. 意外にモーリタニア人に似てるかも

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 現在ではほとんどが定住民と化したサウジ人だが、まだまだ遊牧民の雰囲気を強く残した人たちも多い。

 モーリタニア人のことを「バドウ(遊牧民)」と言っておかしがるサウジ人もいるが、むしろ僕はこのアラブ世界の東西に遠く隔たった2国の民に少なからぬ共通性を感じることがある。

 まず、両者ともアラブ世界随一イスラームに対して保守的な民であること。

 そして、他のアラブ諸国に比べて西欧諸国からの影響が少なく、つい最近まで独自の砂漠遊牧文化生活を営んでいたこと。

 荒涼として広がる砂漠、ラクダ、ヤギや羊、ナツメヤシの木の茂るオアシス、肉とミルク、未発達の料理文化、部族社会、つい最近まであった奴隷の存在と肉体労働に対する卑しみの念、礼拝時間を目安にした生活パターン等・・・、自然や環境、及び精神風土が非常に酷似している。

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リヤド近郊の古都ディルイーヤ跡


 数十年前の村の跡など見ると、土作りの家といい、ドア周りの装飾といい、モーリタニアそっくりである。また、人の容貌にしても、サウジ人でも垢抜けない人とモーリタニア人は他のアラブ人に比べて互いに非常によく似ていると思う。特に石油発見前の時代に生まれた老人たちなんか、その素朴さとか独特のメンタリティーを見ても、ダッラーア(1)を着せたら、言葉を別にすればモーリタニア人とほとんど区別がつかなそうだ。

 モーリタニアのような「アラブの本流」アラビア半島から最も離れたアラブの中に、「遊牧アラブの原型」を見出すことが出来ても、特に驚くに値しないのかもしれない。例えば日本なんかでも、南部の沖縄周辺と北海道のアイヌ民族は他の地域のどんな日本人よりも遺伝的に近縁だ、というような話も聞いたことがある。もしそれが正しくないとしても、現在の平均的な日本人の容貌から最も離れており、そして最も独自の文化を有しているのが日本列島両端の彼らであることは間違いない。今の日本の潮流となっている朝鮮半島経由の外来文化が北九州や畿内地方に入り、その波及が最も広がりにくかった両端、というところだろうか。

 モーリタニア人はサウジ人に比べるとより穏やかで、その点ではイエメン人の方によく似ているとも言うし、現に彼らはイエメンに自分たちのルーツを見出すことを好む。まあ、サウジ人もイエメンにルーツを辿る人は山ほどいるんだが。

 ある時、モーリタニアを髣髴とさせる出来事に出会った。中国人学生アブドッラーの車に乗った時のこと。この男はこちらに来て間もなく安い中古車を買い、免許証を取得するまで無免許運転で乗り回していた。いっぱしのカーオーナーぶりを僕に見せたかったようなのだが、乗ってみてすぐに彼の運転がやけにぎこちなく、危なっかしいことに気付いた。いつもはうるさいのに緊張して無口になっているのは、実は彼が初心者であったからなのだった。

 嫌な予感がしたが律儀にも期待を裏切ることなく、スピードの出し過ぎ及びブレーキの踏み遅れにより、交差点で信号待ちの車にキキィィ―――――ッ、車(セダン)ズガァァ―――ンexclamation×2と勢いよく衝突。

 ぶつかられた車はまだ新しく、後部バンパーがボッコリへこんでいる。乗員全てが車の外に出た。相手の車はサウジ人所有で、インド亜大陸系の運転手が運転していた。サウジ人は話し合うことなく、憤然とした表情で車の助手席に戻り、引きこもる。あーあ、これは面倒なことになったなぁ。こいつ、保険どころか免許ももってねぇしなぁ、と思ったが、この男、只者ではない。すたすたと彼の所に行くと窓越しに何やら話し合い、間もなく握手を交わして戻ってきた。ブレーキがイカれちまったんだ、と言って勘弁してもらったのだと言う。モーリタニアのように即「気にすんな。」とまではいかないが、車が新車同然だったことを考慮に入れれば、やっぱりこれはコスト的に比較してもモーリタニアにも勝る「アラブの気前の良さ」であった。尚、アブドッラーのマシーンは元来ぶつけてもその傷を探すのが難しいくらいの代物なので、問題なしわーい(嬉しい顔)

 また、まだまだシンプルで素朴な人が多い。

 例えば、ちょっとした集まりなどにおいて続けざまに、或いは同時に複数の者が順序を無視して問いかけてきたりすること。全く、聖徳太子じゃないんだから。これはモーリタニアでもよくあったことだ。

 そして皆非常に外交的で元気はいいのだが、そのせいか集中力の無さ、落ち着きの無さ、自己管理や自律といった要素の欠如もよく見られる。礼拝中、落ち着きなさそうにシマーグ(頭にかぶる布)や服をいじっていたり、体をせわしなく動かしていたりするのは、老若を問わず大概サウジ人である。ひどい例だと、礼拝の最中ずっと休みなく手わすらしていたり、鼻をほじくり続けていたりする者もおり、このような者の隣にいると気を煩わされる。

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ナツメヤシの木


また、モーリタニア人が手仕事を嫌い、常に雇い主として黒人系を使っているのと同様の情景がここでも繰り広げられている。

 というかサウジでも20世紀前半まで同様の状況にあったのだが、以前の黒人系奴隷が今は雇用契約を交わした自由民の外国人労働者に入れ替わっているだけである。サウジの5家族に一人はいると言われるメイドは、大概インドネシアかフィリピンから。イスラーム教徒がほとんどで、給料も安いインドネシア人の方が好まれているそうだ。病院の看護婦は英語も喋ることの出来るフィリピン人が圧倒的に多い。個人宅やホテル、会社などの使用人や清掃人はインド亜大陸系やインドネシア人。タクシーの運転手、建築現場などの労働者もアフガニスタンを含むインド亜大陸系が占める。ショッピングセンターや商店などに雇用されているのはフィリピン人が多い。郊外の農園でラクダやヤギの世話に従事するのはスーダン人。学校の教師や医者、技術者などにはエジプトやシリアなど外国からのアラブ人が多い。

 それではサウジ人はどこにいるのか?

 オフィスワークである。クーラーの効いた室内に座っている。しかし、どんな社会でも管理職に向いた者、教師に向いた者、労働者に向いた者、商売に向いた者などがある一定の割合で存在しているのが社会の常であるわけで、サウジ人だけを誰も彼も管理職に独占させてしまうというのは、社会の構造上かなりの無理と弊害があるように思われる。そしてそれは若年人口が軒並みに増加している昨今、特に顕著である。失業にあえぐサウジ人の若者たちは、もはや座っていられる仕事ばかりを望む贅沢は出来ず、かといって単純労働やサービス業などにおいても外国人労働者に経験的、能力的に競合できない八方ふさがりの状態にある。社会的に、そして個々の意識の内に、新たな革新が求められているようだ。

 ちなみにイスラームで肉体労働を忌み嫌うようなことは教えられてはいない。むしろその逆である。最後にその例を挙げて締めよう:

 「或る者がアッラーの使徒(ムハンマド)に訊ねた。"最も良い生活の糧を得る方法はなんでしょう?"彼は答えて言った。"自らの腕でする仕事だ。"」(2)

 「――第4代カリフ・アリーが市場に行って、ナツメヤシを買ったときのこと。彼は市場を出て、買ったものを自らの手で運んだ。そこである者が進み出て、「信仰者たちの長よ、私がお運びしましょうか?」と言うと、アリーはこう答えた――"その物の持ち主が、それを運ぶのに最もふさわしいのだ。"」(3)

 「人にせがんで歩くよりは、ロープをもって焚き木の束を背負い売って歩く方がよい。アッラーは彼の面目を守ってくれるであろう。(せがんでその結果)与えられようと、拒否されようと、(いずれにしろ得ることになる)無心を求めるという行為の屈辱から。」(4)


 (1)モーリタニアのマント風民族衣装。
 (2)アン=ナワウィーの「リヤードッ=サーリヒーン」収録の伝承。
 (3)イブン・カスィールより。
 (4)アル=ブハーリーが「サヒーフ」に収録している伝承。


posted by サイード at 05:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | サウジアラビア日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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