2010年12月12日

マレーシア日本人ムスリムの集まりに参加(2003年7月)


 
前書き:留学先のモーリタニアから、日本へ帰国途中に立ち寄ったマレーシアでの出来事。


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クアラランプール中心部にある「ジャメ・モスク」


 在マレーシア日本人ムスリムの集まりは、或るマレーシア人の提供してくれた大きな一軒家で行われた。集まった人数は約20人、というところか。
 
 丁度マレーシアを会議のために訪れていた日本ムスリム協会(1)の名誉会長ハーリド樋口さん、同協会理事の武藤さんらも参加。女性たちは旦那が地元マレーシア人、という人たちが多い。

 昼食を食べた後、マレーシアのイスラーム大学留学生塩崎君の司会進行で樋口さん、武藤さん、そして僕の順にスピーチした。スピーチ慣れしておらず、元来が口下手で弁の立たない僕だが、このような機会をみすみす逃してはならない、と自覚してはいた。

 まずクルアーンの「イムラーン家の章」から朗誦し、それを簡訳。「共にアッラーの絆にしがみつき、離れてはならない・・・」という、クルアーンをそのよすがとしてイスラーム教徒の結束を促すメッセージを含んだ、有名な部分である。
 
 そして自己紹介を兼ね、自分がイスラーム教徒になった簡単な経緯とその後の変化などについて話す。

 ―――つまり、1つの神のもとに全ての者が平等で兄弟姉妹であるといった兄弟愛とか、この世での行為全てが早かれ遅かれそれ相応の報いを受けるのだという信仰とか、そして自分自身から始まり、家族や友人や隣人、果ては動物や植物に至るまでに向けられた慈愛の精神や道徳、倫理観といったもの等から自分がイスラームに惹かれていったこと。

 ―――また、改宗の際に初対面の人たちから祝福を受け(思えば、そんな形の"祝福"なんて、人生の中で味わったことがなかったのかもしれない)、祈願の言葉をかけられ、「あなたは今日から生まれ変わって新しい人生を始めます。ぴかぴか(新しい)」と言われた事が、それまでちょっと自暴自棄な生活を送りがちだった僕の心に強烈に響き、感動と希望に満たされた時のこと。

 ―――そして、以前はこの世での虚栄とか、物質的な豊かさとか、異性、きつ苦しい家族関係などから逃れて自由であること、好きなことを欲望のままに楽しむことなどの事柄に惑わされていた時期もあったが、今やそれが「神を畏れる心」「神の掟を守ること」「善良であること」「義しく公正であること」などの価値観にきれいに取って代われ、最早迷うことも少なくなり、心に安らぎが宿ったことなど・・・。

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礼拝中の日本人ムスリムたち


 それからモーリタニアやあちらの人たちについても簡単に紹介し、それに関して今回喋ろうと思っていたことの1つ「知識と実践は別物」ということについて述べる。つまり、モーリタニアでは学生に限らず大半の者がクルアーンに始まるイスラームの知識を豊富に備えていた。それはその伝統的教育システムによるところが大きい。にも拘らず、よりイスラームの知識に通じているはずの学生たち―――将来教師などの指導的立場に立つであろうエリートの彼らでさえ、その理解と実践という点においてかなりの疑問を抱かせるところがあった。例を挙げれば

 「信仰する者たちよ、許可を請い、挨拶することなく他人の家に入ってはならない・・・(クルアーン第24章27〜29)

 ―――モーリタニアでの寮生活で、ノックもなしにズカズカ入ってくる学生たちの何と多かったことふらふら!更に、

 「信仰する者たちよ、或る者たちに他の者たちを嘲らせてはならない。彼らの方が優れているのかもしれないのだから。女性たちも他の女性たちに対して同様である。向こうの方が彼女らより優れているかもしれないのだ。そして互いに中傷し合ったり、悪い仇名で呼び合ったりしてはならない。信仰後に悪い仇名とは何としたことか?そのような事を止めて悔悟しない者は、不義者である。

 信仰する者たちよ、悪い憶測をするのではない。ある種の憶測は罪である。また、他人の詮索をしたり、互いに陰口を叩き合ってはならない。死んだ兄弟の肉を喜んで食べる奴がいるか、いや、忌み嫌うであろうに。神を畏れよ。彼こそは赦したもうお方、慈悲深いお方である。

 人間よ、実に我はあなた方を1人の男と女から創り、それから部族と民族に分け広げた。これは互いに知り合わせんが為である。神にとって最も高貴な者とは最も(神を)畏れる者。実に神は全てをご存知で、全てに通じておられる。
(クルアーン第49章11〜13)

 ―――この有名な章句をそらで知っているイスラーム教徒は、世の中に何千万といるだろう。しかし多くの者は熟慮することなく、この警句に背いた行動をとっている。

 「お前たちが大事に思うものを施さない限り、善行を達成することは出来ない・・・(クルアーン第3章92)

 「自分が欲するものをその兄弟にも欲するようになるまでは、本当に信仰したことにはならない。(アナス・ブン・マーリクによる伝承。ブハーリー、ムスリムのハディース集)

 ―――非イスラーム教徒の日本人と比べても、エゴイストが多すぎ・・・などなど、枚挙に暇がない。

 クルアーンを本当に自分に生かしたい者は、3つのポイントを守るべきだという。

 つまり正しい朗誦、意味の咀嚼と理解、そしてそれに沿って行うこと、である。恐らく改宗した者が殆どである日本人イスラーム教徒にとっては、世にはびこる在来イスラーム教徒の悪い具体例などを見て失望もうやだ〜(悲しい顔)することも多いだろう。それでも、暗記するばかりで意味を理解しないという悪例を真似たり、悪いイスラーム教徒を見てイスラーム自体をそのように判断してしまうのではなく、少しでもいいからクルアーンやハディースなどを読み、学び、それを実践していくように努めましょう、というのが僕の伝えたいメッセージだった。

 しかし主に年配の方々から様々な反論、ご教授を頂いたので、何か間違った場違いな事を言ってしまったろうか、と自らを省みたが、良かれ悪しかれ反響はあったということだ。それにスピーチの後何人かの人たちが僕のところにやって来て、僕の意見に同意する旨のことを述べてくれたり、「感動しました。」と言ってくれる人までいて、嬉しい驚き。今回の集まりをコーディネートした塩崎君も、僕のスピーチに反響があり、「とても良かった。」と喜んでくれた。少しでも僕の伝えたかったことが伝わり、ましてや人の心を打つことが出来れば、これは何より幸いなことである。まだまだ不勉強な僕だが、これからは少しずつでも自分の学んだことを周りに還元していかねばならない。今回の出来事は僕のマレーシア滞在をとても充実したものにしてくれたし、僕にとって何か大きな始まりの第一歩であるような気もした。




 (1)日本人イスラーム教徒によって1952年に設立された宗教団体。68年宗教法人に認可される。日本国内のイスラーム組織では例外的に、日本人会員を中心としている。


posted by サイード at 02:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | マレーシア日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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