2010年12月10日

モーリタニアでクーデター勃発(2003年6月)


 6月8日明け方近くのこと。何やらボーン!ドゴーン!とうるさい音が眠っている僕の耳に単発的に入ってきた。

 モーリタニアの雷は初めてだな、ここは雷の音も変わってんなあ、位に思って気にせず眠っていたが、朝5時頃、やけに騒々しい雰囲気に目を覚まし、トイレへ。

 寮の前には学生たちがたむろし、何やら一種独特の雰囲気の中ひっそりと話し合っていた。ラジオに聴き入っている者もいる。只事ではない状況に気付き、近くにいた者に訊くと、「クーデターが起きた。」少しまだ寝ぼけていたので「アァン?どこで?眠い(睡眠)」と言うと、「ここで、だ。」とのこと。雷と思ったのは爆撃の音だった。午前1時ごろから軍の将校率いる一派が大統領に反旗を翻し、軍事行動を開始したのだという!なかなか信じがたい、突然の出来事だった。

 明け方の礼拝の後サウジ人の寮監が、情勢が安定するまで学校は休校になること、そして寮生たちは寮の外に出て自らを危険に晒すことのないよう通告する。モーリタニア人教師たちが拘束されて以来大学部はずっと休校だったが、今日から学期末試験が開始されるはずだった。今年はイラク戦争、教師陣の拘束、そしてこのクーデターと、様々な事件で休校が連続した。僕は結局1年間休学したので直接の影響を被ることはなかったが、特に卒業を間近に控えていた者たちは非常に心配している。それどころか今回は、自分の身を案じなければならない状況にさえなってきた。シャイフ・サアドに電話で連絡をとる。更に、誤爆されて死んじゃわないうちに日本の実家に電話。情報を得ようと日本領事館に問い合わせてみたが、誰も出ない。

 日が昇る。寮生は外出禁止とはいえ、部屋の窓から覗く外の風景は車と人通りが少ないだけで、いつものそれとそれほど変わらない。ヤギや犬がほのぼのと歩き、路上脇のバラックやテントに住んでいる人たちのいつもの生活も垣間見える。爆撃音と銃声が断続的にだが、定期的に聞こえる。

 テレビ局、大統領官邸、空港が主な戦場らしいが、空港以外ここからそれほど遠くない場所に位置している。特にテレビ局は2,3キロの距離だ。時々近くで銃声が響き、路上の家畜や家事をしていた女たち、遊んでいたお子様たちが逃げ惑うのが見える。同室のアイユーブが「硝煙の臭いがしやがる。」と吐き捨てるように言った。多分僕のおならのせいだったのだが、本当にそうかもしれないのと恥ずかしさから、「何、本当か?」と神妙な表情で言っておいた。

 彼は家族のもとに行くため、外に出る。タクシーも走っているし、何人かの学生も外出したという。ここで外に出ない手はないだろう、サイード目。部屋を訪れていたガンビア人アル=ハーッジを率い、外の偵察に挑むことに決心。

 外は車の通りがいつもより極端に少ないだけで、それほど緊迫した空気もない。

 まず近所のモスクへ行き、情報収集。大概モスクには住み込みで勉強している学生たちがいる。爆撃の跡や戦闘を見た奴はいるか、と訊くと、誰もいない。BBCやアルジャジーラはこのニュースをいち早く伝えていた。BBCはこの事件をまた「イスラーム原理主義者」と結び付けているが、恐らくそれは殆ど関連がないだろう。クーデターを起こした主導的人物は元バアス党アラブ民族主義者とされる。湾岸戦争辺りからの政府のイスラエルよりの姿勢に反感を高め、軍のポストから追いやられたらしい。現大統領が使った同じ手段で持って政権を掴みたいだけで、彼が別の軍政を敷いたところで特に国内政治において変わりはないだろう。どうやら今のところ反乱軍が優勢らしい。首相が拘束されたもよう。

 それからタクシーを拾って市街地へ行く。店は大体閉まっているが、人々は普通に外を歩いている。相変わらずヤギやロバにあふれたのどかな風景で、下町の方は全く緊迫感もなく日常的風景である。ちょっと肩透かしを喰らわされた気分。一体どこで、そして本当に戦っているのかどうか疑いを持ったほどだ。単発的な爆音と銃声は、どうも2派が激しくやり合っているのではなさそうな気がした。モーリタニア風に、打ってはアーターイ(ミントティー)を飲んで休憩してるのかもしんねえな、と不謹慎なことを言ってアル=ハーッジと笑った。

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軍の凱旋パレード


 情勢を見て大丈夫だと判断し、帰りは徒歩で帰る。軍を乗せたピックアップを路上で2回だけ見た。軍の施設の前も通ったが、何の動きもなさそうで、普段と変わらない様子。爆音は常に聞こえるが、思えば着弾音は余り耳にしない。銃声もただの威嚇射撃っぽい感じがする。大統領がフランス大使館に保護を求めている、というニュースが入った。寮に戻って昼飯を食べた後は少し休み、爆音や銃声を聞きながら風呂に入ったり洗濯したりする。午後の礼拝の後寮監は、学校と寮の警備にあたる学生を募ったり、銘々が万が一の状況を想定して自らを備え、水やローソクなどを用意しておくように、と注意を与えたりした。この先どうなるのだろう、と少し不安になってくる。

 日没後、1日中続いていた爆撃音がやんだ。どうやら1段落着いたようだ。反乱軍が大方重要な拠点を制圧したらしい、大統領の息子が殺された、という情報が入った。

 翌日6月9日。明け方の礼拝後、またドンパチが始まる。それが収まり、静かになったのが午前11時前頃だろうか。今度は道行く車のクラクションがうるさく鳴り始めた。急いで外に飛び出す。勝利した陣営の祝勝パレードかと思ったが、ごく普通の民間人が車で走り回り、勝利を喜んでいるのだった。さて勝利者は、と言うと・・・現大統領ムアーウィヤの率いる正規軍だという!ビックリした。メディアの情報自体錯綜していたが、昨夜辺りから反乱軍がテレビ局や官邸、空港などをほぼ制圧した、との情報が広まっていたので。人々がこれほど大統領の勝利を喜んでいるのも意外だった。しかし彼らの大方は、現状の政策維持によって利益の得ることの多い数少ない富裕層と、只わけもわからずお祭り気分でこの騒ぎに便乗している者たちだけであろう。

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当時の大統領ムアーウィヤ。鎮圧後の記者会見で。


 丁度居合わせたモロッコ人ラシードと、タクシーをチャーターして戦いがあったというテレビ局と大統領官邸方面へ。どちらも道路が封鎖されていたので近づけなかったが、途中から兵隊を乗せた軍の車とそれに追随する大統領支持者たちの車が続く「凱旋パレード」に合流する。老若男女を問わず、銘々車の窓から体を乗り出したり荷台に乗り合わせたりして、歓喜の叫びを上げている。クラクションは鳴らしっぱなし。何はともあれ、情勢が安定したという点では気が楽になった。恐らく予定通り無事に出国することも出来るだろう。

 夜、サウジ人の先生のところに課外授業のため出かけようとしたが、寮からの外出を禁じられる。寮監が一言「殺されるぞ。」相変わらず外は祝勝のクラクションが鳴り響いているし、彼らが言うほど危険な状況ではないと思うのだが。


 この直後、留学先のイマーム大学モーリタニア分校は、突如閉校される。当時のモーリタニア政府の意向によるものだったが、特に卒業間近だった学生たちはかわいそうだった。

 尚、この出来事と時を同じくして、僕のもとにはイマーム大学リヤド本校からの留学許可が届いた。そして同年秋からはサウジアラビアへと本拠地を移し、現在に至っている(同大学クルアーン学修士課程)。

 モーリタニア政権はその後も混迷を続け、幾度ものクーデター未遂が起こったらしい。2005年には軍主導のクーデターがついに成功し、ムアーウィア大統領は国外失脚。更に2008年にも、クーデターが起こったようだ(余り興味がないので、注目もしていなかった)。

 これをもって、モーリタニア日記の完結編とさせて頂くことにする。
posted by サイード at 22:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | モーリタニア日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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