2010年12月08日

モーリタニアでの人間観察3(2002年12月)

 

 サンプルA アフマド

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左がアフマド


 スーダン出身で同じく学部4年生。知り合ってすぐ仲良くなり、よく行動を共にする。スーダン人にしては随分小柄で、動きも話し方も常人の1・5倍くらい早い。まるで何かにせかされているかのように余りに早く動き回るので、時に「早く死んでしまうのではないか」と心配になってしまう。まるで飾り気がなく、とても気さくで、自然体。人の気にしそうな事でも何でも思ったことをぶっきらぼうに口にするが、却ってそれが気持ち良い場合もある。このあたりの人当たりの良さというのは、ほぼ全てのスーダン人に認められる大きな特色だ。ただ彼の場合ちょっとおっちょこちょいの気が見て取れる。このようなタイプは日本の小学校とか中学校とかのクラスにも平均1人位はいたような気がする。国や文化や顔かたちが違っても、社会を構成する人々の基本的なキャラクターはどこも似たり寄ったりだ。

 サンプルB リドワーン

 モロッコ人のクラスメート。長身をモロッコ服で包み、幾分うつむき加減で歩く。黒々とした豊かな頭髪とあごひげに、顔の色の白さが引き立つ。非常に落ち着いた一種特別な雰囲気をもっており、50メートル位先からでも他の人たちから際立って見えるときがある。情緒がとても安定しており物腰がとても柔らかく、低いがとても心地よい声で上品な話し方をする(人格は時に声や話し方にまで出てしまうものだ)。決して声のトーンを上げない。笑い声を上げそうになると意識して堪え、せいぜい噴き出す程度。不思議に生活感がなく貴公子然としており、人と向かい合った時にいつも浮かべる意外と愛嬌のある笑顔がなかったら、ちょっと近寄り難かったかもしれない。寮のモスクで最も多くイマーム(礼拝を導く人)を務める1人でもあり、クルアーンの朗誦も彼の人間同様、度が過ぎる調子も間違いもなく、淡々として静かで優美である。皆から一目置かれ尊敬されているが、至って自然体で慎み深く、かといって恥ずかしがりというわけでもない。マナーもとても洗練されており、仲の良い友人であってもちょっとどいてもらいたい時などは、相手の目をその大きな眼で真摯にじっと見詰め、「失礼」とスッと言ってのけたりする。宗教的知識に秀で、信仰心が強く、それが普段の実践として優れた品性、行い、といった点で具現化している、イスラーム教徒の理想的かつ、このご時世(残念ながら)稀有な例。このような優れた人となりはその普遍性ゆえに、いつの時代でも、またどこの国においても、人の目に際立って輝いて映る類いのものであろう。

 サンプルC ラシード

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左手前がリドワーン、右手前がラシード


 学部4年生のモロッコ人。快活で男らしい笑顔が印象的で、古代地中海民族フェニキア人を髣髴とさせる容貌(フェニキア人見た時ないけど、何かそんな感じ)。リドワーンがいい「お兄さん」タイプ(*注・僕より年下)ならこちらはいい「アニキ」タイプ(*注・同じく年下)、というところか。実際こっちのモロッコ人学生の中では一番年上で、頼りになる兄貴分のような存在みたいだ。少々荒削りで不器用なところはあるかもしれないが、清廉で、勇気がありそうで、表情にそれが出ており、眼が明るく輝いている。彼も小学校とか中学校に一人はいそうな、勉強もスポーツも良く出来る正義感の強いリーダータイプだ。クルアーンは12歳になる前には全暗記してしまっていたという。

 ラマダーン月のある日、「モロッコ料理食いてぇなあ。」という僕の声を耳にした彼は、日没の断食明けに学校近くのモロッコ料理屋に連れて行ってくれた。しかし残念ながら最初に行った彼のお目当ての店はタバコの煙で充満しており、それをとても嫌った彼は「ったく今時のイスラーム教徒は・・・。」とそこを出て、僕を違う店に連れて行った。しかしそちらではメインの料理が殆ど底をついてしまっていた。それでも色々おいしいものを食べさせてもらったが、彼の顔からは悔しげな、不満の表情がありありと見て取れた。店の主人もそれに気づき、「何か足りねぇもんでもあんのか?」と言ってきたほどだった。「こんなはずじゃなかったのに」「もっといいモン食わせてやりたかったのに」という気持ちが伝わってきて、それだけで胸を打つものがあった。帰り道、彼は「これがモロッコだったらお前の住むとことか嫁さんとかexclamation×2全部世話してやれたんだが・・・。」と無念そうに言った。その心遣いに、「アニキ、舎弟にして下さい!」と頼もうかと思った。

 その翌日彼は再度、今度は寮の彼の部屋に僕を招待し、ハリーラ(モロッコ風スープ)を作って振舞ってくれた。

 サンプルD アル=ハーッジ

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彼の笑顔は熟れたオレンジのように輝いていた


 学部4年生のガンビア人。彼と知り合ったのは夕食時に寮の食堂でたまたま同席したとき。勉強やこちらの人間など諸々の理由で落ち込み気味だった頃、この男はその素晴らしい笑顔で閉ざしがちだった僕の心のドアをスッと開け、何事もないかのように入りこんで来たのだった。彼の「ニコーッ!わーい(嬉しい顔)」という満面の笑顔は、心の底から何の抵抗も介さず、そのままストレートに湧き出てきていた。遠い国日本からやってきた僕と知り合えた事を「オラ、嬉しいなぁー!アハハーッ!」と物凄い喜び方をするので、少々たじろいでしまうほどだった。それ以後も何度も夕食で同席したが、彼の笑顔は随分と僕の心の癒しとなり、僕は彼をどんどん好きになっていった。

 イード後の休暇中、彼は夕食後僕を彼のアパートに招待してくれた。彼は新婚で、今学期から寮の外に部屋を借りて奥さんと一緒に生活を始めたのだった。彼の住むアパートは殆ど同郷の住人で占められていた。彼の部屋は約8畳といったところか。部屋半分をカーテンで仕切り、入り口から見て向こう側に、モーリタニアが肌に合わなくて体調を崩しがちだという奥さんが横になっているらしかった。部屋の家賃は電気や水道料金を含め日本円にして月大体1500円位、立地条件の良さと広さを考えれば妥当な値段。こちらでは普通トイレは共同で、キッチンはなく、ガスボンベに調理用の器具をつけて調理する。お茶を飲みながら話してこんでいると、いつの間にか寮の門限時間(休暇中は午前0時)を過ぎてしまったのに気付いた。「何言ってんだ、泊まってけぇー。」と言う。仕切りがあるとはいえ、あまつさえ新婚宅に実質上川の字になって寝る形になることに少々気は引けたが、断ったら逆に失礼になりそうなのでお言葉に甘える。彼は僕を招待することに心から喜びを感じていたし、僕もその真心といたせりつくせりのもてなしにとても幸せな気分になった。どんな手の込んだ料理や豪奢な邸宅をもってしても、この人間の心の純粋な意図、そして愛情という原点抜きには本当の意味でのもてなしはありえない。全ての所有物がなくなってしまったとき、そのとき人は初めて誰が本当に豊かで貧しかったかを知るだろう。翌朝彼と別れる時、なるべく遠回しに「何か困った事とかはないか?例えば金銭的なこととか・・・」と訊ねてみると、かげりない笑顔と共に「何もねぇよー、アハハーッ!」という答えが返ってきた。

 彼は中学校から10年近くここで勉強している割には余りアラビア語が達者でなく、「オラ、一回ここでダブッちまったんだー、アハハーッ!」と言っていた通り、決して成績優秀なタイプではない。しかし根っから善良で温和な人間で、とにかく無制限に、無条件に優しい。純粋な、相手から何の見返りも期待しない愛。心からの率直な愛情表現。この男は頼まれたら何でも与えてしまうのではないか、簡単に騙されてしまうのではないか、と逆に心配になる。

 思わず、同じ様に誰に対しても「無条件に」優しかった、今は亡き母方の祖母を思い出した。祖母は物心ついてから老衰するまで、農地に縛られて腰が曲がりきるまで働き詰めの人生を送った。辛抱強く、他の人のためにばっかり懸命で、とにかく優しく温和で、戦後間もない頃村落で孤立していた朝鮮人にこっそり作物を譲ってやっていた、という話も聞いた。

 子供の頃の僕はその余りの気遣いが時にウザったく感じられ、幾分なおざりにしていたところがあった。その祖母が危篤で入院したと聞いたのは僕が高校生の頃だったと思う。その頃僕は既に毎年数回ある実家の集まりからすっかり遠ざかっており、祖母の存在を遠い記憶の片隅に追いやってしまっていた。その祖母の存在が突如記憶の底から頭をもたげ、いてもたってもいられぬ思いで病院に向かったのは、確か学生服姿だったので学校帰りのことだったのだろうと思う。祖母は点滴で薬を鼻から通され、意識が少し朦朧としている状態だった。それに暫く会ってなかったから無理もなかったが、僕が誰だか認識できない様子だった。医者か誰かと間違えているのか、非常に敬意を払った口調でお礼じみたことを言ってくるのが僕を悲しくさせた。僕は何か逆らえない力でもってそこに向かわされ、立っていたのだった。何かどうしても話したい重要な事があったのかもしれない。

 ある日アル=ハーッジに訊いてみた。「何でそんなに優しいんだ?わけを聞かせてくれ」。突然の単刀直入な質問に彼はとても照れまくっていた。結局彼は僕の満足するような明確な返答はしてくれなかったが、話を聞いてみると彼にも僕と同じ様なとても優しいおばあちゃんがいて、彼女から影響を受けているらしかった。2人で自分の祖母の「自慢話」を披露しあったが、僕が自分の祖母についての話をしている際中、彼の目は感動して幾分涙ぐんでいるように見えた。彼はこのように他人を気遣う心を農耕民の特質として結びつけようとした(ガンビア人も農耕民族である)。また、「生まれつきのもの」なのだろう、とも言った。どちらも十分説得力のある意見だ。しかし決定的な点が抜けていたような気がして、心に少々もどかしさが残った。

 追記:スーダン人アフマドの消息は知らないが、モロッコ人リドワーンはその後サウジアラビアのマディーナ大学留学という、僕と同じ道を辿って現在に至っている。ラシードは、数年前までの時点では自国で小学校教諭をしていたが、その後は分からない。アル=ハーッジとの連絡も途絶えたが、僕はガンビア人と余程の縁があるようで、サウジ留学後も何人かの印象的なガンビア人の友人と出会った。その話は、サウジ日記にも時々登場するだろう。
posted by サイード at 10:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | モーリタニア日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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