昨今メディアを賑わしているイスラム国(IS)。
拙宅にはテレビがない。
先日、床屋


これから斬首しようとする欧米人捕虜をひざまずかせ、カメラに向かって訴えかける黒い覆面姿の男の映像。
また、ISの自称「カリフ」バグダーディーが全世界へのムスリムに向け、アラビア語で自分がカリフであることの正当性と、自分への服従を訴える説教を行っているシーン。
日本のこのようにローカルな空間で、アラビア語で聖クルアーンや預言者ムハンマドの伝承が声高く唱えられるのを、このような形で聞くことは非常に新鮮な感覚だった。
新鮮とはいっても、いい意味の新鮮さではない。
一緒に空間を共有していた散髪中、あるいは順番待ちの人たちがこの映像を見て、特に意見を言ったり、交わしたりしたわけではない。彼らが自分のことを、ムスリムと知っていたわけでもない。
にも関わらず、非常に肩身の狭い思いをした。
「こいつらはお前の同胞なのか?」
「お前はこいつらと同じ宗教なのか?」
「お前らの宗教は、こういったことを教えているのか?」
こういった質問を、突きつけられた気がした。
あれがイスラームの理想的な姿なのか?
彼らは本当にイスラーム原理主義者で、「宗教を忠実に正しく実践している」に過ぎないのか?
全世界の大多数のムスリムは、ISがしていることに反対であろう。
しかしメディアで取り上げられるIS関連、あるいは混乱と戦乱が続くアラブ・イスラーム世界関連の、「イスラームこそが、これらの問題の根底にあるのではないか」と思わせても仕方のないようなニュースが膨大である一方、これらの問題に関するイスラームの潔白性を主張する意見はなかなか耳に入って来ない

全世界のイスラーム識者、ムスリムたちは、ISの行っていること−無論、その全てが否定されるわけではないだろうが−を、宗教的観点から明確な根拠をもって反論する必要がある。
そう出来なければ、彼らの一味だと思われても仕方がない。
それは日本でも同様だ。
残念ながらネット上では、ISに同情的、あるいはその主張の一部への同意を強調する余りに、彼らのシンパと疑われてもしょうがないような意見すら見受けられる。しかもそれが著名な日本人ムスリムや、イスラーム識者と呼ばれる人々だったりする。
そのような中、敬虔で宗教的知識も豊かなムスリムであると同時に、その発言に影響力がある良識的な専門家から、以下のような意見が怒りと共に発せられることには安堵感を覚える。
「現実にイスラム国がやっていることは、元来のコーランやイスラムの教えとはまったく違う。罪もないシリアの人々から強奪し、言うことを聞かなければ虐殺すらする、名ばかりの“イスラム”にすぎない・・・」(奥田敦 慶応義塾大学教授)
参照:
http://www.kanaloco.jp/article/78513
神奈川新聞
また先月末には、世界各国のイスラーム識者・イスラーム組織が、ISの「自称カリフ」バグダーディーに宛てて、連名で公開書簡を発表した。
その内容は2014年7月4日、イラクはモスルのヌーリー大マスジドで、バグダーディーがカリフを宣言した演説の内容に対する、諫言の形式をとった反論である。実際のところ、ISの行いを真っ向から否定する内容となっている。
イスラーム諸学に通じた学者らが共同作成したものに、エジプト、イラク、モロッコ、スーダン、モーリタニア、シリア、レバノン、サウジアラビア、イエメン、アラブ首長国連邦、トルコ、パキスタン、インド、ボスニア、ナイジェリア、チャド、チュニジア、ガンビア、マレーシア、インドネシア、フランス、ベルギー、スウェーデン、ブルガリア、ドイツ、アルゼンチン、カナダ、米国、ポルトガルなどの中東各国、イスラーム諸国、欧米諸国の識者らが同意の署名をしたもので、署名の数は120以上。
特にエジプトと米国の学者・イスラーム組織が多い。
恐らく書簡の作成の中心人物は、モーリタニア出身のアブドッラー・ブン・バイヤ師を含む数名か。この人物は宗教的知識だけでなく、現代欧米社会にも通じている博学な人物で、権威あるムジュタヒド(イスラーム法学の見解を出すため、イジュティハードが可能な者)の一人である。また、その学識ゆえの中庸さ・穏健さで知られており、世界中のムスリムから敬愛されている。
公開書簡は、アブー・バクル・バグダーディーことイブラーヒーム・アウワード・アルバドリーと、「イスラム国(IS)」に属する戦士や人々に宛てたもの。
書簡なので簡潔だが、伝統的スンナ派の大多数の理解に基づき、宗教的典拠を的確に引用しつつ(典拠を適切に引用するということこそが、難しいことなのである)、しっかりとしたイスラームの学識、特に法源学の知識に基づいた論証を行っている。率直に言って、過去にも現在にも学識的に無名、素性の知れない烏合の衆であるISとは、学識のレベルが違う。
本文、結論、概要、署名者名簿という構成になっており、A4用紙で32枚の量。
9月19日付で発表されているが、日本ではその概要どころか、ニュース自体、殆ど知られていないようだ。
在日ムスリムはこれを日本語に翻訳する必要があると思うが、とりあえず概要の部分だけ翻訳されたものを見つけたので、翻訳者の許可を取った上で、ここに転載させてもらった。
本文自体も、誰か時間がある人に訳してほしいところだ。
−以下転載−
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において
ISISに対する、イスラーム世界のイスラーム学者やイスラーム団体からの公開書簡の要点より ※一部意訳
書簡の詳細は、http://lettertobaghdadi.com/
1.イスラーム法の見解を出す事が許されるのは、イスラーム法基礎学の文献で述べられている「ムフティー(イスラーム法学の見解を出すため、イジュティハードが可能な者)の条件」を満たす者だけであり、それ以外の者は勝手にイスラームの名のもとに見解を出してはならない。
また、クルアーンやスンナ全体を考慮せず、クルアーンの一節或いはその一部を単独で根拠に引用し、独自の見解を出してはならない。
2.イスラーム法的見解は、アラビア語に精通している者しか出す事は出来ない(訳注:アラビア語話者と言うだけでは不十分で、アラビア語学の専門的知識が必要)。
3.イスラーム法を安易に考え、イスラームの専門的知識の無い者達に任せてはならない。
4.イスラームにおいては、ムスリム社会に住む者なら誰でも知っている様な根本的な事以外においては、学者間の意見の相違が許される余地がある(訳注:自分達の意見のみが正しいイスラームで、他の意見は間違っていると見なしてはならない)。
5.イスラームでは、法的見解を出す際に、適用対象の「現状」を考慮する必要がある。
6.イスラームでは、無実の人を殺す事を禁じている。
7.イスラームでは、(訳注:例え敵であろうと)使者を殺す事を禁じている。ジャーナリストや援助団体の職員たちは使者と見なされるので、殺してはならない(訳注:使者のみならず、戦いの際でも敵方の非戦闘員を害する事は禁止)。
8.イスラームにおいて、「ジハード」は防衛的なものであり、且つ、イスラーム法に沿った原因、方法、目的を満たさなければならない。
9.イスラームでは、明らかに不信仰な言動を行った者以外は、不信仰者と見なす事を禁じている。
10.イスラームでは、啓典の民に、害を加えてはならない(訳注:啓典の民のみならず、宗教を理由に、無実の人を害してはならない)。
11.ヤズィーディー教徒は、啓典の民と見なされるべきである。
12.イスラームにおいては、イスラーム学者達が一致してその放棄を認めた奴隷制を、復活させてはならない。
13.イスラームでは、宗教の強制を禁じている。
14.イスラームでは、女性の権利を尊重しなければならない。
15.イスラームでは、子供の権利を尊重しなければならない。
16.イスラームでは、刑罰を適用する前に、公正さと慈悲を保証する正当な手続きを経なくてはならない(訳注:専門知識があり、公正で慈悲に満ちた見解を出せる裁判官の裁定なくして刑罰は実行されない。イスラームの刑罰は、少しでも疑わしい所があれば実行されない)。
17.イスラームでは、人々を拷問にかける事を禁じている。
18.イスラームでは、死体を痛めつけることを禁じている。
19.イスラームでは、自分が行った悪事を至高なるアッラーのせいにする事を禁じている。
20.イスラームでは、預言者様達(彼らの上にアッラーの祝福と平安あれ)やサハーバ(彼らの上にアッラーのご満悦あれ)の御墓等を破壊する事を禁じている。
21.イスラームでは、統治者が人々の礼拝を許している限り、明確な不信仰の言動以外の理由で、統治者に謀反を起こす事を禁じている。
22.イスラームでは、イスラーム共同体の合意(イジュマーウ)なくして、カリフを宣言してはならない。
23.自分の祖国に属する事は、イスラームにおいて合法である。
24.イスラームでは、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の亡き後、必ずしも全員がヒジュラをしなければならないわけではない。
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以上。本文の方も、早期に訳されることを望む・・・
